楽しく生きたい

ゲームが好きな若者です。

私のゲーム人生観

人生観

人生観と一言でいっても、皆それぞれです。定義もどれが正解とかないと思います。

私は、「私はこういう生き方をしたい」といった今後の人生がどうなったら理想的なのかを語ったら、それがあなたの人生観であり、何人も否定も肯定もできないとものであると思っています。

私は小学生の頃は友達とよく遊んでいました。昼休みになったらすぐさまボールを持ち出し、グラウンドでドッジボールをやっていました。学校が終わっても近くの大きい公園で夕方まで遊んでいました。

友達と遊ぶのと同じぐらい好きだったのがゲームです。ブログを始めて間もないですがきっかけが、ゲームが好きだからゲームの楽しさを伝えられたらと思ったからで、今(21)になってさらに好きになっています。

記憶定かではないですが、初めてゲームに触れたのが幼稚園。ゲームボーイカラーポケモンピカチュウ版でした。今になって思えばそれが母親から買ってもらった最初で最後のゲームでした。以後は何か習い事を頑張ったり、試験に合格した時のご褒美に父親から買ってもらっていました。

昔は父親もゲームをやっていて、私が小学校低学年の頃、バイオハザードをプレイしているのを良く見ていました。当時は怖すぎると思いながらも何故か見ちゃうというM気質の目覚めだったのかもしれません。今では恐怖感を感じながらも楽しみながらできています。

そして、私のゲーム好きをさらに加速させたのが、PSPからでたモンスターハンター2Gでした。これまで私は兄弟としかゲームを一緒にやったことがなかったので、携帯機を外に持ち出して友達と一緒にヤマツカミを倒すのがとても至高に感じていました。当時はプレイ時間=強さという謎の定義が生まれ、私もPSPを付けっぱなしで寝て稼いでいた記憶があります。

このように小学校高学年くらいから運動の意味で友達と外で遊ぶよりゲームをする方が好きになっていました。

次は中学校編です。

 

 中学に進学し、周りの「部活をやらなきゃいけない空気」に飲み込まれしぶしぶ入部する決断をしました。これまで何もスポーツをやっていなかったのですが、友達が欲しく人が多いところに入ろうと思いサッカー部に入りました(もちろん、モチベーションもなく3年間公式試合には出ることはありませんでした)。

当時のお小遣いは月500円で、父親から何からしらのご褒美で買ってもらえるゲームでは足りず、近所のGEOのセールを待ちながら地道に貯めていました。GEOのチラシを見るのが好きでした。

当時やっていたゲームは様々で、この頃からドラゴンクエストにハマっていきました。確かドラクエⅥがDSでリメイクされたのをプレイしてから、掘り下げるように歴代シリーズをプレイしました。

モンスターハンター3rdもこの時期だったと思うのですが、これもめちゃくちゃやり込んだ記憶があります。メタルギアコラボで出てきた巨大ハプルポッカが今でも印象的です。

中学では部活と勉強で忙しい日々が続く友達と集まってゲームをするより一人でやる事が多く次第に慣れていき、高校受験を迎えました。

私の時は前期・後期と二つ試験があり前期は面接、後期は筆記試験で前期はやってもやらなくても良いというもので、私は筆記試験では受かる気がせず絶対にやりたくなかったのですが、幸い通知表の評価は良かったので己を信じて面接一本で受験をしました。結果は合格し、前期試験は後期試験より二か月早く行われたので、1月ごろには受験を終え、後期試験に向けて頑張っている人たちの邪魔をしたくなかったので、何をしようかと考え始めたのがインターネットでした。

父親からWindowsXPを譲り受けたものは良いものの、特に用途が見つからないままでいたのですが、友達にニコニコ動画の存在を教えてもらい、見てみたらがっつりハマっていた自分がいました。

また、Twitterを始めたのもこの頃で当時のTwitterの周囲の印象は「Twitter=オタク」という風に見えました。私自身オタクだと思うのですが、好きな趣味同士が相互フォローし好きなものを呟いていました。

そんな中学生活を送っていた私ですが、女性とお付き合いをしたことが一回あり「中学生の付き合いってどうせふざけ半分じゃん」と思う人もいると思うのですが、まったくその通りで「じゃんけんに負けた奴が○○に告る」という今となってみれば倫理観のかけらもないものですが、当時私の周辺ではそれが流行っていて何とか避けていた私ですが、カースト上位の男子グループに捕まり見事に負け、告白したところ、意外なことにもOKを頂き、登下校を一緒にするようになりました。お互い部活をやっていたこともあり、休日や学校終わりに遊ぶということはあまりなかったのですが、私は一緒にいる時間が増えれば増えるほど、「一人になりたいなぁ」と感じるようになり、私から別れの言葉を告げ関係が終了しました。気づけば一か月ほどのお付き合いでしたが本当に最低ですね、この内容を書いてると段々自分に腹が立ってきました。しかしながら、「一人になりたい」と感じていたのは事実で、それは今でも変わりはありません。自分がゲームを楽しく遊んでいるのに遊ぼうだとか、帰ってゲームをやろうと楽しみにしていたのが帰宅に誘われ時間が消えてしまうだとかが私には耐えられなかったのです。それ以来女性関係は一切興味がなくなり、一人の時間をより好むようになりましたがそんな自分が好きな私がいるので、当時の女性には誠心誠意の謝罪と共に私が私を好きになれるきっかけを作ってくれたことに感謝したいです。

 

高校で私はゲーム友達というものを見つけお互い家にいながらオンラインでゲームを遊べることに新しい時代を感じました。マインクラフトやFPSの戦争ゲーム等、PCでゲームをやることが多くなっていきましたね。

この頃から顔見知り程度の知人が増え、廊下で会えば一言交わしていて、お互いの趣味を聞きあったりするのですが、もちろん私はゲームと答えるのですがほとんどの人に煙たがられました。それが謎で仕方がありませんでした。人の趣味なんて人それぞれなのに、「ゲーム=悪」みたいに捉え、自分を正当化してくる人が本当に苦手でした。

私は大学の講義の一つで「マジョリティ(多数派)」と「マイノリティ(少数派)」について学びました。要するにマジョリティが正当化され、マイノリティが認められないということです。この時私は「ゲームのようなインドアな趣味はマイノリティだから虐げられるんだ」と感じました。そう感じたからといって、何かしらの行動をとろうと思ったことはなく、その後も色々な人に言われるがまま「でも君自身の趣味を否定したら論破しにくるんだろ」と思いながら気にしないようにすることにしました。

この記事を見て人間関係に悩む人の助けになれるとは思ってませんが、私はこれまでの人生で好きになれたことを否定する人が嫌いです。だからこそ死ぬまでゲームを楽しめる人生を送りたいと心から思っています。

長文になりましたが、私が言いたいのは「人の趣味を馬鹿にするな」ということです。もちろん私はゲームを馬鹿にしてきた人の趣味を愚かだとは思ったことはなかったです。むしろ興味が沸いたことが多いくらいでしたが結局ゲームの方が魅力的に感じその場で終わっていました。

---------------------------------------

 今後もゲームの楽しさを私なりにお伝えしていくと共に

今回の記事を書くきっかけとなったことも記事していきたいと思います。

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村